第一章 自己紹介

平和島ウオッチャーよねです。

はじめましての方も多くいらっしゃると思うので自己紹介文を書いてみたいと思います。

基本的にTwitterでつぶやくのは競艇の事でございます。

最近では、ボートレースなんて呼び方の方が印象が良いみたいですね。(笑)

へっへっへっ。競艇。

はじまりはいつも雨。←書きたかっただけ。

簡単に今までの経歴(ボートレース)に関して書いてみたいと思います。

舟券を買ったのは東日本大震災があった2011年になります。仕事の付き合いで職人さんと呼ばれる当時60代のおっちゃん達とボートピアに行ったのが最初でした。

なお、その時に競輪にも手を出しております。小松崎大地選手の応援車券を買ったのも良き思いでございます。

その時、競艇で教えてもらったのが

選手のランク(A、B)、選手の2連対率、モーターの勝率、①コースが強い・・・。

一通り教えて貰ってもなかなか当たらない!つまらない!競艇デビューでした。

当時の賭ける金額は1レース400円~800円程度。120分の1とは言ったものの、なかなか当たらないのでパチンコ、スロットをやった方がまだ楽しめるんじゃないかな?とか思っていたあの日のワシ。

当時、とっても印象に残っているレースがあります。

平高奈菜選手のレースです。

彼女の写真がちょっとヤンキーぽくて可愛かったのと、周りのじじいがなんか興奮していたんだよね。

ななぁ~!がんばれー!ヒラタカー!攻めろよー!

2022年現在、今ではこんな声は聞こえてきません。コロナの影響なのか、それとも気持ち高ぶるレースが少ないのか。ちなみにワシは両方だと思っています。

はい。

記憶が曖昧だが1か2コースからでスタート遅れたんだよね。

素人でも分かる一瞬でこれは勝てないなって空気。

じじいは発狂してました。

あお▲☆=¥!>♂×&◎♯♪£ぉーん。

スタートで遅れると勝てないんだな!

「競艇って難しいなぁ」そう感じる出来事の1つとして記憶に刻まれる事になりました。

そんな感じでまた、2回乗りの先ほどスタート出遅れたじじいのアイドル平高奈菜選手がレースに出るではありませんか!?

1日2回乗るんだー!(知らなかった)

3コースからの戦いだった。

完全に現場の空気は舟券の対象からは外した、人数合わせの女の子みたいな感じでした。

4の方が売れてたんだよね。

結果はスタート遅れる事なく3コースから勝ったのです。

じじいの叫びは増幅します!

「さっきもそのぐらいスタート行けぇ!ボケ~」

この年って調べるとフライング明けだったのね。確か出走表の表記がB2だった気がするんだが、記憶はいつも曖昧だ。

もちろん初心者なので、選手の背景(フライング明け、レース勘が戻ってない)はまったく知らない。そこに、予想する上で知らなきゃいけない最低限の事がある事を認識しました。

ただ、そこまで選手の事覚えられないよ・・

当時を振り返えると広く舟券を買って当てるより、少ない点数で的中を目指すいわゆるイン逃げ舟券が中心でした。

当たっても儲からない。外れたら腹が立つ。

そして、自分の中でこれは①が勝つと思い込んでいる人気選手が捲られて負ける。

ショックだよね。

そして、気がつくわけだよ。

これはテレビ画面じゃわからん!(←まずはここから言い訳を考えた訳だ)って事で、こんな感じで2012年に初めて平和島競艇場に行きました。(この年一度だけ)

ちなみに、ボートピアって大きいテレビ画面が無数にあって好みのボートレース場がここ1ヶ所に来ればどこでも買えるので当時、ここは聖地だと思っていました(笑)

選手もたまに来てトークショーをやっていたし、全国のボートの情報がここに集まっている感覚でした。

そう。テレボートに加入するまでは。

話しを戻そう。

初めて行く競艇場は不安いっぱい。おっさんがいっぱい。

タバコの吸殻、ちぎられた出走表、焼き鳥の串が落ちてるあの感じ。

あぁ30代にしてワシも人生の底辺に来てしまった。

最初はそう思った。

本当にそう思った。

ごむぇんオカアサン・・・。

でも、なんか好きだよ。ここ。

なぜ、平和島競艇場だったかというと当時の雑誌にも高配当が出るNo.1が平和島だった事と自宅から一番近い競艇場だったからでございます。

どうせやるんだったら儲けたいよ。

こんなのが最初の動機。

この後、2013年から勤務地が新宿になるのですが比較的空いている時間があれば大田区に通うそんな生活になるのでした。

そう。高配当を求めて・・・。

第一章完

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おしまい

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